サラリーマン生活において避けて通れないもののひとつに「飲み会」がある。特に上司や取引先との飲み会は多くの人間にとって憂鬱の種となるだろう。私も例外ではなく、可能な限り断るようにしている。それでもゼロにはできないのがサラリーマンの悲しいところ。
私の飲み会に対する拒否反応は、単なる面倒くさがりや人見知りといったレベルを超えている。内側から湧き上がる不快感はまるで全身の細胞が「これは違う」と叫んでいるかのようだ。
自分の時間を拘束され、本音を隠し、作り笑いを貼り付け、興味のない話に相槌を打ち続ける。そこには何の喜びもない。あるのは消耗と疲労だけ。
一度や二度ならば我慢もできる。しかしそれが常態化し自分の意思に反して参加を強いられる状況となると私の心は激しく反発する。
しかしこの強烈な不快感すら私の原動力に換えてみせると決意した。
行きたくない飲み会に参加するたび私の内なる炎はさらに燃え盛る。
「いつか、自分の意思に反する嫌な飲み会に行かなくても良い身分になる」という決意が胸の奥底で確固たるものとなっていく。
「行きたくない飲み会に行かなくて済む身分」とは、具体的にはどのような状態だろうか。それは、経済的な自由を手に入れ、自分の時間と人生を完全にコントロールできる状態である。会社のしがらみや人間関係に縛られることなく、自分の価値観に基づいて生きる選択肢を持つことができる。それが私の目指す場所だ。
この目標は、私に計り知れない集中力と推進力をもたらしている。行きたくない飲み会への参加はある意味修行のようなもので、自己を鍛え上げるための試練なのかもしれない。飲み会で感じた嫌悪感は一時的な不快感に終わることなく、私の未来を切り開くための強靭なエネルギーへと昇華される。
一刻も早く、自分の意思に反する嫌な飲み会に行かなくても良い身分になる。その日のために私は今日も走り続ける。