私たちはあまりに「仕事」という概念を神聖視しすぎているのではないか。

遅くまで残業したり、あるいは休日返上で心身を削り、精神を病んでまで向き合うべきものとして仕事が君臨している。しかし冷静にその正体を見つめ直したとき、導き出される結論は一つしかない。

「仕事なんて、実は大したことない」ということだ。

これは無責任に全てを放り出せという意味ではない。ただ、多くの人が仕事という虚像に圧倒され、自らの人生を二の次にしている現状があまりに歪(いびつ)に見えるのだ。


仕事という名の「呪縛」の正体

世の中には仕事で苦しんでいる人が多すぎる。私自身その一人だ。組織の方針はコロコロと変わり、昨日までの正解が今日には間違いとされる。毎月のように誰かが去り、新しい誰かが入ってくるが、そのたびに現場の混乱は放置されたままだ。時代錯誤な慣習や文化、上司の機嫌取り、そして一度も経験したことがない業務を「当たり前」のように丸投げされる日々。

不満を挙げればキリがない。しかしそれらの理不尽に対して声を上げようとすると、決まって投げかけられる言葉がある。

「仕事なんだから我慢しろ」 「給料を払っているのだから当然だ」 「嫌なら辞めていいんだぞ(代わりはいくらでもいる)」

私はこれらの言葉が死ぬほど嫌いである。責任感が強く真面目に物事に取り組もうとする人ほど、こうした言葉を真に受けてしまう。自分の能力が足りないせいだ、自分がもっと頑張ればいいのだと自分を追い詰め、心の中に溜まった澱(おり)を無視して消耗していく。

だがよく考えてみてほしい。これらは単なる「経営側や管理側の都合の良い言い訳」に過ぎないのだ。


「大変そう」という錯覚を剥ぎ取る

仕事が手に負えないほど巨大で恐ろしいものに見えるのは、私たちがそれを「未知の強敵」として扱っているからだ。やる前は「これは大変なことになりそうだ」「自分には手に負えない」と不安に駆られる。

しかしいざ取り組んでみれば案外なんとかなってしまうことがほとんどである。

仕事は分解してしまえば単純なタスクの積み重ねに過ぎない。どんなに巨大なプロジェクトも一つ一つの事務作業やコミュニケーションの集合体だ。それを「神聖な義務」や「人生のすべて」のように装飾するから必要以上の重圧を感じてしまうのである。

さらに周囲を見渡せば、驚くほど無責任な人間が溢れていることに気づくはずだ。締め切りを守らない、肝心なところで逃げる、他人の手柄を横取りする。そんなお世辞にも「プロフェッショナル」とは呼べないような人間たちが、意外にも平然と、のうのうと生き残っている。

そんな彼らの姿を見ていると馬鹿らしくならないだろうか。

自分がどれだけ夜遅くまで頭を抱えて悩んでいても世界は回り続け、テキトーな人間も同じように給料をもらっている。仕事とは所詮その程度の存在なのだ。完璧にこなさなければ破滅するようなものではない。

もっと泥臭く、不完全で、テキトーでも成立してしまう「ただの営み」に過ぎないのである。


日本社会が作り上げた「仕事教」の罠

日本には仕事を神のように崇め、何よりも優先すべき事項として扱う「仕事教」とも呼べる風潮が根強く残っている。プライベートのあれこれより、体調不良より、個人の幸福より、まずは「仕事」を優先するのが社会人としての常識という無言の圧力だ。

しかし断言しておくが、「仕事=最優先事項」というのは、単なる個人の価値観、あるいは特定のコミュニティ内のローカルルールに過ぎない。それが全人類共通の真理であるかのように振る舞い、他人に押し付けるのは傲慢である。

仕事は生きていくための「手段」であって「目的」ではない。人生を豊かにするための道具の一つに過ぎないはずだ。仕事のために人生そのものがボロボロになっては本末転倒である。

サラリーマンは自分の時間を切り売りしてお金をもらっているが、自分の魂まで売り渡す必要はないのだ。

「仕事=すごいもの」「仕事=自分を定義するもの」という幻想を一度捨ててみてはどうだろうか。仕事がうまくいかないからといって、あなたの人間としての価値が損なわれるわけではない。上司に怒られたからといって、あなたの人生が否定されたわけでもない。

それは単に「その場の、その役割における、一つの出来事」に過ぎない。


肩の力を抜いて、ただ「こなす」

これからはもっと気楽に仕事を捉えていけばいい。 仕事なんて大したことない。

たとえば明日の朝もしあなたが仕事を休んだとしても、幸か不幸か会社が潰れることはない。もし会社が倒産したとしても、あなたの命まで取られるわけではない。

もちろん目の前の業務を放棄せよと言っているのではない。ただ「心までは差し出すな」と言いたいのだ。淡々とやるべきことをこなす。そこに過剰な感情や自己犠牲の精神を持ち込まない。それだけで精神的な自由は驚くほど確保される。

真面目すぎるあなたはもう少し「不真面目さ」を自分に許してもいい。

「まあ、仕事なんてこんなもんだよね」と冷めた目で眺めるくらいが、ちょうどいいのだ。

私たちは働くために生まれてきたのではない。生きるために、たまに仕事という不条理なゲームに参加しているだけなのだ。そのゲームのルールに振り回されすぎず、もっと軽やかに、自由に生きよう。