ルーティン動画を観てくれている方は知っていると思うが、私は毎週のように神社を訪れる。透き通るような空気の中、静かに佇む鳥居をくぐり、参道を歩く時間はかけがえのないものだ。

だからといって私は神様に全てを委ねることはしない。もし私が神様ならば、自ら行動を起こさず、ただ救いを求めるだけの人間を安易に救うことはしないだろう。

神様は私たちの努力を見守り、背中を押してくれる存在であると私は考えている。私たちは自分の力で道を切り開き、困難に立ち向かう。その過程でふと立ち止まり、静かに神様に感謝を伝え、改めて決意を述べる。それが私の宗教との向き合い方である。

毎週神社を訪れる際、私は多くを語らない。「今週もやります」「今週もありがとうございました」ただ、それだけを心の中で申し上げる。

この言葉には日々の努力への決意と、無事に過ごせたことへの感謝が込められている。神様はこのシンプルな言葉の裏にある私の覚悟をきっと感じ取ってくださると信じている。

もちろん人生には自分の力だけではどうにもならないこともある。予期せぬ困難や深い悲しみに直面することもあるだろう。そんな時、私は神社の境内で静かに座り、心を落ち着かせる。それは神様に解決を求める行為ではない。ただ心を整え、自分自身と向き合うための時間なのだ。そして再び立ち上がるための力を内側から見つけ出す。

神様は私たちに試練を与えることもあるかもしれない。しかしそれは決して私たちを見放しているわけではない。むしろその試練を通して私たちが成長することを願っているのだと私は解釈している。だからこそ私たちは与えられた状況の中で最善を尽くし、常に前向きな姿勢でいることが大切だ。

私は特定の教義に深く傾倒しているわけではない。しかし神道の精神性、特に自然や祖先への敬意、そして日々の暮らしの中に神を見出す感覚を大切にしている。神社の清らかな空間は、忙しい日常の中で忘れがちな、本来の自分を取り戻させてくれる場所だ。

神様との関係は一方的な依存である必要はない。神様は私たちが自立し、成長することを願っていると私は勝手に考えている。

そして私たちがその過程で示す努力と感謝を温かく見守ってくださる。

私の神様との向き合い方はこれからも変わらないだろう。毎週神社に足を運び、静かに心の中で感謝と決意を述べる。そして自分の足でしっかりと大地を踏みしめ、自分自身の力で人生を切り開いていく。そうすることが私にとっての神様への最大の敬意であり、最も誠実な信仰の形であると考えている。

神様は私の心の支えであり、私がより良い人間になるための静かなる導き手なのである。