誰もが一つや二つ思い出したくない過去を持っているだろう。布団の中で「うわー!」と叫びたくなるような、顔から火が出るような恥ずかしい記憶。私にももちろんある。そして、その過去の記憶は、特にデジタルな世界に生きる現代において、時に「デジタルタトゥー」として未来永劫残り続ける可能性をはらんでいる。
例えば私がYouTubeに投稿している禁欲に関する動画もそうだ。今は真剣に発信しているが、10年後、20年後の自分が(まだ生きていたら)これを見てどう思うか。
もしかしたら「あの頃の自分、どうかしていたな…」と頭を抱える日が来るかもしれない。
しかしだからといって新しい挑戦を躊躇する理由にはならない。未来の自分が今の自分を恥ずかしいと思う可能性があったとしても、それは「やらない理由」には決してなり得ないのだ。
過去を後悔することは、ある意味で自然な感情だ。あの時ああしていれば、こんなことにならなかったのに、と頭の中で何度もシミュレーションを繰り返す。だがどれだけ過去を悔やんでも時間は戻らない。過去は変えられない。後悔の念に囚われ続けることは精神的な停滞以外の何物でもない。その感情は未来へ向かうエネルギーを奪い、私たちをその場に縛り付けてしまう。
もし今、何か後悔している過去があるのなら、それをただの「恥ずかしい記憶」として封じ込めるのではなく、むしろ「糧」として捉え直すべきである。その過去の経験から何を学びどう成長できたか。あの時の失敗があったからこそ今の自分があると考えることで、後悔は未来をより良くするための貴重な教訓へと姿を変える。
今日という一日を少しでも良い方に向かって生きることだけが、未来を変える唯一の方法である。
過去の後悔に囚われて今日を無為に過ごせば、未来もまた後悔の延長線上にしか存在し得ない。
しかし今日できること、今日変えられることに意識を向け一歩でも前に進む努力をすれば、その積み重ねが人生を改善する可能性は高いだろう。
過去は変えられないが、それは決して足枷ではない。むしろ、私たちの軌跡を物語る証であり、成長の記録である。恥ずかしい過去も、未熟だった自分も、全てが今の自分を形成するかけがえのない要素だ。未来の自分が今の自分を振り返った時に「あの頃の自分も一生懸命生きていたんだな」と思えるように生きるしかない。