人間は感情の動物であるとよく言われる。喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、そして意欲。これらの感情は私たちの行動を大きく左右し、時に人生を豊かにする原動力となる。しかし私はこの感情やモチベーションというものに、多くの人々が過度に縛られすぎていると思う。そして、そのことに感謝すら覚える。なぜならば感情やモチベーションに流されず、粛々と行動を継続する人間にとっては大きな差別化の機会となるからだ。
感情に左右される危うさ
多くの人は気分が乗らないから、やる気が出ないからといって本来やるべきことを後回しにする。というか、ぶっちゃけ私もやらない理由や言い訳は無限に湧いてくるからその気持ちはよくわかる。だけど、その感情に流されたら後で必ず後悔する。これは何度も何度も何度も後悔してきたから痛いほどわかるし、本当は誰もが理解していることなんじゃないだろうか。
一時的にモチベーションが高まって行動しても、持続しなければ意味がない。
このような行動パターンは短期的な快楽や現状維持を優先し、長期的な目標達成を阻害する。感情は移ろいやすく常に一定のレベルを保つことは難しい。その移ろいやすい感情に自らの行動を委ねることは、不安定な土台の上に家を建てるようなものだと言える。
モチベーション幻想
「モチベーションが上がらない」という言葉をよく耳にするが、そもそもモチベーションは「待つもの」ではなく「生み出すもの」、あるいは「行動の結果として後からついてくるもの」ではないだろうか。
多くの人はモチベーションが湧いてから行動しようとする。しかし実際には逆である。まずは小さな一歩でも良いから行動を起こすことで、達成感や手応えを感じ、それが次の行動へのモチベーションへと繋がるのだ。
このブログを書いているときも、書く前は正直ダルい。毎日1本投稿なんて目標を掲げなければよかったとさえ思っている。それも毎日w
だけど、やると決めたからやる。やっているうちに、徐々にゾーンに入って筆が進むようになる。
「やる気」というものは、しばしば行動の結果として生成される。筋肉トレーニングが良い例である。始めたばかりの頃は辛く、モチベーションも低いかもしれない。しかし、回数をこなしていくうちに身体の変化を感じ、体力が向上することで、それが新たなモチベーションとなり、継続へと繋がっていく。
粛々と行動する者の優位性
多くの人が感情の波に流されて行動を中断したり、パフォーマンスを落としたりしている時に、私たちは淡々と作業を進める。
特別な才能や飛び抜けた知性があるわけではなくても、この「粛々と続ける力」は大きな差を生んでくれる。他者が感情の浮き沈みに翻弄されている間に、私たちは一歩一歩、着実に積み重ねていく。この地道な努力が最終的には圧倒的な成果として現れる。
凡庸から抜け出すために
感情やモチベーションを否定するわけではない。これらは人間の豊かな側面であり、適切にコントロールできれば強力な味方となる。しかし、これらに振り回されて行動が停滞しているのであれば、それは大きな損失であると言わざるを得ない。
重要なのは感情やモチベーションを行動の起点にするのではなく、行動の継続を阻害する要因にしないことだ。むしろ感情の起伏があること、モチベーションが低下することが当然だと受け入れ、それでもやるべきことをやり続ける「仕組み」や「習慣」を構築することが重要である。
例えば毎日のルーティンとして特定の時間に行動を組み込む。あるいは目標を細分化し、達成可能な小さなステップを設定することで行動へのハードルを下げる。また行動を記録し、客観的に進捗を把握することも有効だろう。
多くの人々が感情やモチベーションの奴隷となり、その波に揺られているおかげで、粛々と行動し続ける人間が、少しずつでも確実に抜きん出ることが可能となる。感情を無視する必要はないが、感情に流されることなく、理性と習慣に基づいた行動を積み重ねる。これこそが現代社会において最強の差別化戦略であり、成功への最短経路であると私は確信している。