お正月はこぞって実家へ帰る季節だ。私も今月(1月)のはじめ、地方にある実家へと足を運んだ。
久々に会う両親や親戚。並べられる豪華な料理。暖かいこたつ。そこにあるのは紛れもない「善意」と「安らぎ」だ。しかし私の胸の内を占めていたのは安堵感よりも焦燥感のほうが大きかった。
そのストレスの正体を突き詰めたとき、私はある一つの真理に到達した。
独身であることは惨めな欠陥などではなく、人生を変えるための最強の武器であるということだ。
家族という「愛のあるノイズ」
誤解しないでほしいが私は家族のことが嫌いなわけではない。しかし今の私にはどうしても譲れないものがある。
それは「自分の人生を変えるための時間」だ。
私は今これまでの惰性的な生き方を捨て、新しい自分に生まれ変わるため毎日闘っている。
コンテンツ制作、自己研鑽、そして将来への種まき。現状に対する強烈な危機感と、「このままでは終われない」という焦りが私を突き動かしている。
ところが家族と過ごしていると、休日は休日でも100%自分のためだけに時間を使うことは難しくなる。自分一人なら時間のすべてを「作業効率」に合わせて最適化できるが共同生活ではそうもいかない。
しかも私は現在、「オナ禁」や「ポルノ断ち」といった、男性の性エネルギー管理や自己変革にまつわる情報を発信している。これは現代社会において非常に重要で、多くの人を救う可能性を秘めたテーマだと自負しているだが、それを親の目の前で堂々と作るのもなんだか気が引ける。
私は顔出しでYouTubeもやっているので、親バレしたらその時はその時だと思っているけど、だからといってわざわざ「オナ禁について発信してるよ!」と言うのも違う気がするw
そんなわけで常に背後を気にしながらこそこそ作業する羽目になる。
独身・孤独という特権
これまでの私はどこかで「独身であること」「孤独であること」にコンプレックスを感じていた。 兄弟は結婚して子供もいるのに、親に孫の顔を見せられていないことへの後ろめたさとか、オスとして劣っている気がする悲しさとか、諸々のネガティブな価値観を抱えて過ごしていた。
しかし今回のお正月でその考えは変わった。
独身や孤独は寂しい状態を指す言葉ではなく「自分の全リソースを100%自分のためだけに投入できる状態」を指す言葉なのだ。
もし私が家族と生活していたら、休日に自分の作業に没頭することなど許されるはずがない。
誰にも邪魔されず、朝から晩まで一つのことに狂ったように没頭できる。 食事を抜いても、部屋が多少散らかっていても、誰にも文句を言われない。
孤独は変化の苗床になる
実家から古いアパートに戻ると、私は即座にパソコンを開き、止まっていた作業を再開した。
家族と過ごした時間は私に大切なことを教えてくれた。それは私には今この孤独が必要だという事実。
私はこの「孤独」という最強の武器を手に、まだ何者でもない自分を鍛え上げ、誰よりも突き抜けるまで闘い続ける。
今の私には守るべき家族はいない。その代わりに変えるべき未来がある。