私たちは常に誰かと自分を比較して生きている。自分より優れた能力を持つ人を見れば、羨望の眼差しを向け、時には劣等感に苛まれることもあるだろう。逆に自分より未熟な人を見れば、優越感を抱くこともある。
上を見ても下を見てもキリがなく比較対象は無限に存在する。自分と誰かを比べるのは、ある意味自然な行為である。
しかし中にはその比較の対象が少し歪んでいる者もいる。例えば私は空手を学んでいるため、よく格闘技系の動画を視聴しているが、なんともいえないコメントが付いているのを目にすることがある。
「下手だ」「弱い」「そんな動きでは通用しない」など動画の登場人物を貶めるような内容である。
ところがそういう彼らは自分の技を動画で公開することはない。
おそらく彼らは自分より弱いから見下しているのではなくて、その動画に登場している「すごい他人(十分に強い人)」を、超トップ選手などの「もっとすごい他人(達人レベル)」と比較して、その上で「すごい他人」を嘲笑しているのだ。
自分の能力や経験を披露してマウントを取るならまだしも、ただ相対的な評価を下して優位に立とうとしている。虎の威を借るなんとやら。はっきり言って自分と他人を比べる方がマシだ。他人と他人を比べて劣る方を馬鹿にするのは、自分と他人を比べること以上に愚かなことと言って良い。
で、他人と他人を比べるのを最速で卒業したら、今度は自分と他人を比べることもやめてみよう。
本当に比べるべきは他でもない「昨日までの自分」である。
昨日までの自分より今日の自分がどれだけ成長しているか。どれだけ前に進んでいるか。その一点にのみ集中する。
他人の優れた点に目を奪われ、自身の未熟さを嘆く時間がモチベーションになることもあるけど、なるべく最小限にしてさっさと次の行動に移ったほうが良い。同様に、他人の劣った点を見つけて優越感に浸る時間も成長には繋がりにくい。
「昨日の自分より成長しているかどうか」
この問いに対する答えだけを追い求め、今この瞬間に全集中する。それが本当の意味での努力だ。他者の評価や外部の基準に振り回されることなく、自身の内なる声に耳を傾けひたすらに自己研鑽に励む。
比べるべきは、いつだって昨日の自分だけ。