「過去にとらわれるな」と言われることがある。
過ぎ去った失敗を悔やんでも時計の針は戻らない。だから前を向けという理屈だ。
しかし一方で「未来にとらわれるな」と言われることはない。むしろ世間は未来を案じることを推奨しているように見える。
だけど私は過去と同じくらいかそれ以上に、未来という不確定な概念にとらわれない方が良いと考えている。
私たちが真に情熱を注ぎ全神経を集中させるべき対象は、後悔の対象である過去でも不安の種である未来でもなく、今この瞬間に流れている「現在」のみではなかろうか。
未来を想うことが不安の種になる
なぜ未来を考えることが毒になり得るのか。理由は明快だ。
未来を考えれば考えるほど、人間は得体の知れない不安に支配されるからである。
私たちは幼い頃から「将来のことを考えなさい」と親や教師に諭されて育つ。就職活動になれば「10年後の自分はどうなっていたいか」という、予言者でもなければ答えようのない問いを突きつけられる。あたかも遠い先の計画を緻密に立てることこそが知性的であり、正しい生き方であるかのような観念がある。
だけど5年先10年先のことなんてぶっちゃけ誰にも分からないし、明日何が起こるかもわからない。極端なことを言えば明日大地震が起きて死ぬかもしれないし、明日某国から核ミサイルが飛んできて日本が吹き飛ぶ可能性だってゼロじゃない。
そんな「誰にもわからないこと」のために、今という貴重な時間を不安で塗り潰すのは如何なものだろうか。
「今を生きる」という言葉の誤解
「今を大事にする」という生き方を提示すると、決まって「今さえ良ければそれでいいのか」「刹那的で無責任だ」という批判が飛んでくる。しかし私にとって「今に集中する」という考え方は単なる快楽主義や現実逃避とは違う。
「今を充実させる」とは単に酒を飲んで騒いだり怠惰に時を過ごしたりすることではない。
今現在流れている一分一秒を、自らの意志で、最大限の密度を持って使い切ることだ。
目の前の仕事、目の前の食事、目の前の対話。その一つひとつに全神経を研ぎ澄ませ、自分という存在をその瞬間に完全に投じる。この圧倒的な「集中の連続」こそが、真に今を生きるということである。
未来を不安がる人々は、実は「今」から逃げているのではないだろうか。不確かな未来を案じることで今日という一日に向き合う重要性から目を逸らしてはいないだろうか。
未来は今の集積
未来は独立して存在するものではない。それは過去から現在へと続く連続体の一端であり、厳密に言えば「今この瞬間の選択」が積み重なった結果である。
故に素晴らしい未来を手にしたいと願うのであれば、未来そのものを凝視して悩む必要はない。
今という一瞬を全力で充実させ、最高密度の「現在」を積み上げていけば、結果として訪れる未来が悪いものになる可能性は低いと言える。
逆に言えば今この瞬間を疎かにすれば、訪れる未来の質もお察しの通りって感じ。
不確定な世界で唯一確かなもの
「今が良ければそれでいいのか?」みたいな感じで今を大事にしている人を刹那的で頭の足りない奴みたいな言い方をすることがあるけど、「今を充実させる」ってそんなに簡単なことじゃない。
本当の意味で「今が良い人」とか「今を楽しく生きている人」とかいう人間は、今現在流れている一分一秒を無駄なく全力で生きている人のことだ。
私たちは不確定要素に囲まれて生きている。しかしその中で唯一、今この瞬間の自分の行動だけは自分の意思で確定できる。
誰にもわからない未来を必要以上に気に病み、心を摩耗させるのはもう終わりにしよう。私たちは予言者になる必要はない。ただ今この瞬間を全力で生きることに集中すればいい。
未来への不安が頭をよぎったなら、それを振り払うために、今すぐ目の前の何かに没頭すること。書くべき文章、片付けるべき机、伝えるべき感謝の言葉。やるべきことは常に「今」の中にしかない。
誰にも奪えないこの「今」を、私は今日も全力で使い切る。