ろくでもない魑魅魍魎が跋扈する今日では、幸せに生きるために、降りかかる火の粉は自分で払う覚悟と強さが必要だ。これは己の尊厳と人生を守るための絶対的な原則である。
恨みを買う行為の抑制と、それでも存在する悪意
私は基本的に誰かの恨みを買うような行為は極力避けるようにしている。
若い時はSNSであーだこーだとレスバに興じていたこともあるが、今思えば完全に時間の無駄だった。
しかしどれだけ慎み深く、注意深く生きていても、不条理な現実に直面することはある。何もしていなくても自分に不利益をもたらそうとする人間が確かに存在する。彼らは「こいつはどうせ何も言えねえだろw」みたいな感じでこちらを舐めているからだ。
理不尽な攻撃への対処と予防
理不尽に自分が不利益を被るような事態は避けるべきである。
ここでいう不利益とはネットで馬鹿にされたとか、その程度の雑音のことではない。そんなものは気にするだけ貴重な時間の無駄である。
私が回避したい理不尽な攻撃とは財産や社会的地位、あるいは心身の健康といった生活に欠かせないものを脅かす、実害を伴う明確な攻撃のことである。
これらを回避するにはまず予防が重要だ。例えば情報の管理を徹底したり、不審な誘いには乗らないなど、日頃から警戒心を怠らないことが求められる。
もし実際に攻撃された場合は決して泣き寝入りしてはならない。自分が悪いわけではないのに黙って不利益を受け入れることは彼らの思う壺であり、さらなる攻撃を誘発する可能性すらある。そして一度成功例を与えてしまうと、自分だけでなく、他の人に対しても理不尽な攻撃を仕掛けるかもしれない。
故に私たちは自分が受けた理不尽な仕打ちに対し正当な手段で抵抗する権利と義務がある。法的措置を検討することもあれば、周囲に協力を求めることもあるだろう。しかし、その根底にあるのは自分自身の力で状況を打開するという覚悟である。
誰も助けてはくれない現実
残念ながら、現代社会において誰かが進んで自分を助けてくれることなど、まず期待できない。何らかの見返りを期待する下心があるなら別だが、大抵の場合はみんな自分のことで精一杯であり、他人の問題に深く関わろうとはしない。
だからこそ私たちは「自分で闘うしかない」という現実を直視しなければならない。自分の人生を守れるのは究極的には自分自身だけなのである。この厳しい真実を受け入れ、その上でどう行動するかを考えることが真の強さに繋がるのだ。
いざという時のための自己鍛錬
この「自分で闘う」という覚悟を支えるために、私は日頃から自己鍛錬を怠らない。武道(空手と琉球古武)や筋トレで体を鍛えるのもそうだが、特に重要なのは精神的な強さを保つこと。
私はもともとメンタルよわよわおじさんだったが、メソメソしていても誰も助けてくれないという厳しい現実を直視してからは心の鍛錬にも本気で打ち込んできた。
そのための具体的な手段のひとつとして禁欲を実践している。オナニーをせずポルノも断っているのは、無駄なエネルギーの消費を避け、いざという時に男として闘うための気力と集中力を養う目的もある(もちろんそれだけではないが)。
これは単なる個人的な習慣ではなく、来るべき困難な状況に備えるための、私なりの準備のひとつと言える。性的な欲求に流されることなく、己を律することで、より研ぎ澄まされた精神状態を保つことができると信じている。
自分の人生は自分で守る
人生には予期せぬ困難や理不尽な出来事が降りかかるものだ。そんなときは冷静に行動することが重要だが、そのためには心の強さが何よりも重要だ。
自分の人生の責任は、最終的に自分自身が負う。その覚悟を持って生きることを、まずは私が自分で実践していく。