あなたは自分のことを弱者男性だと認識しているだろうか。あるいは誰かにそう言われた経験があったりして。
もし少しでも自分を変えようとする気持ちがあるのなら、少なくともその意志があるのなら、その時点でもう弱者男性ではないと断言して良いだろう。
なぜなら変わりたいと願い、生きづらさや苦しみに喘ぎながらも、そんな人生を変えようともがいている時点で十分に闘っている。誰にも助けてもらえず、慰めてもらえることもない。しかしそれでもなお毎日立ち上がり、生きているのだから、あなたは紛れもなく強い存在である。
様々な意見があることは承知しているが、毎日闘い努力している人間が弱者であるとは私は全く思わない。
かく言う私はどうかと言えば、私の年収は年齢の割に高いとは言えないし、良い歳をして彼女もいない独身で、友達も少なく、コミュ力が高いわけでもなく、外交的なタイプでもない。これは確かに事実だ。
でもだからと言って今の私が弱者男性であるとは決して思わない。
私は今年の正月の動画で自分自身と、視聴者の皆さんと、今年1年間だけは死に物狂いでやり切ると約束した。
週に2本の動画を投稿する、ブログ記事を毎日1本公開する。これは今のところおかげさまで滞りなく継続できている。
それ以外にも私がやると決めたことは実行し、やらないと決めたことはやっていない。これは毎週公開している禁欲ルーティン動画をご覧いただければ、その一端が垣間見えるだろう。
そうやって自分自身や皆さんとの約束を確実に守り、どんなに苦しい状況であっても毎日着実にタスクを実行できている男が、果たして弱者男性であると言えるだろうか。私はそうは思わない。
自分との約束を毎日守り続けることは、少しずつ自分で自分を信じる力を育む。それはつまり自己肯定感が高まっていくということである。
だからこそ今の私は、おそらく人生で最も自己肯定感が高い状態にあると言える。自己肯定感が高まっているのだから、自分で自分を弱者男性などと思うはずがない。
しかし逆に言えば自分を変えようとせず、あるいは変えようとしたとしても、やると決めたことを実行できずに毎日惰性で過ごしてしまえば少しずつ自分を信じられなくなり、やがて自分が本当に弱者であると思い込み、真の弱者男性へと陥ってしまうのではないだろうか。
弱者男性であるか否かは他人がどう思うかではなく、自分との約束をどれだけ守れているかによって決まる、と、私は考えている。
たとえ今年収が低く、彼女がおらず、友達もいない状況であったとしても、そんな今の自分を変えようと毎日必死に努力しているのならば、もうその時点であなたは弱者男性ではない。
なぜなら毎日努力しているのならば、自分のことを自分で認めざるを得なくなるからである。
私もそうだった。もともと自己肯定感が著しく低かった私だが今年1年間全力で頑張ると宣言してから、三日坊主で終わることなく、今日まで着実に努力を継続できている。だからもう今の私には自分のことを否定する材料がほとんど存在しない。
だから否応なしに自己肯定感が高まり、自分のことが弱者男性であるなどとは全く思えない状態になっている。
もし他人がすずもとは低スペックだとか非モテだとか弱者だとか言ってきても、その相手に対してはイラつくだろうが、そう言われたからといって、それを鵜呑みにして自分で自分を弱者だと否定することは一切ない。
そもそも他人が何を言っていようが、自分の人生には全く関係がないはずである。
むしろ他人を気にする余裕があるということは、それはまだ頑張る余地があり、もっと自分を変える可能性を秘めているわけで、むしろチャンスである。
自分が弱者男性であるかどうかは、自分との約束をどれだけ守っているか、毎日どれだけ頑張っているかによって決まる。
だから今日も辛い思いをしながらも必死に頑張っている私たちは、その時点で弱者男性ではない。
もしまだ頑張れていない人がいたとしても今日から、今この瞬間から行動を変えれば、もはや弱者男性ではなくなる。
やると決めたことはやる。やらないと決めたことはやらない。
そうやって自分との約束を守り続け、それを積み重ねて自分で自分を見返してやれば、もう自分を弱者男性などと思えるはずがない。なぜなら自分を否定するための根拠がなくなってしまうから。
誰が何を言おうと俺はちゃんとやっているという確固たる自信が自分の中に生まれてくる。
そうなったらもう弱者男性からは完全に抜け出していると言える。
自分のことが弱者男性であると思っている人、あるいは他人から弱者男性であると思われている人は今すぐ自分の行動を変え、自分で自分を見返すべきである。
私も行動し続ける。皆さんもぜひ一緒に行動し続けようではないか。