「ぬるま湯に浸かる」という言葉がある。 心地よく、いつまでもそこに留まっていたいような現状維持の肯定だ。

しかし、ぬるま湯は人を平穏にするのではない。 人をゆっくりと、しかし最も残酷な形で湯立たせるのだ。

なぜ心地よいはずのぬるま湯が、人を湯立たせるのか。 それはそこに「成長の停止」と「終わりのない現状維持」があるからだ。

ぬるま湯の状態にいるとき人は新たな挑戦を避けるようになる。 今のままで十分だし何かを変えれば今の心地よさが失われるかもしれない。 そうやって現状維持の壁を高く厚く築いていく。 しかし世の中は常に変化している。 周囲が変化しているのに自分だけが立ち止まっていれば、それは相対的に退化しているのと同じだ。

ぬるま湯に浸かり続けることは自らの可能性を閉ざすことでもある。 「自分にはもっとできることがあるのではないか」という微かな声は「今のままでいい」という安易な自己肯定にかき消される。 その繰り返しが自己肯定感を少しずつ蝕んでいく。 自分を信じられなくなれば新たな一歩を踏み出す勇気も湧かなくなる。 こうして人はぬるま湯から抜け出せなくなり、その中でゆっくりと腐敗していく。

そして、ある日気づく。 自分は何も成し遂げていない。 自分には何の価値もない。 その絶望感が人を湯立たせる。

「なぜもっと早く行動しなかったのか」「なぜ現状に満足してしまったのか」という激しい後悔と自己嫌悪が心身をさいなむ。 それは沸騰した湯に飛び込むよりも苦しい体験だ。

これを避けるため、私はあえて「沸騰しているくらい」の環境に身を置くことに決めた。

沸騰している環境は、決して楽ではない。毎日胃が痛くて、ストレスまみれで死にたくなる。しかしこの苦しみは、ぬるま湯の中で感じる澱のような焦りとは違い、成長痛のようなものだ。

沸騰している環境では自分も常に沸騰し続ける必要がある。

自分を沸騰させる方法は人それぞれだ。 新しい仕事を始める、新しい趣味を始める、新しい場所へ行く、新しい人と出会う。 どんなに小さなことでもいい。 今の自分にとって、少し「熱い」と感じることに挑戦してみることだ。

ぬるま湯に浸かり続け自分を湯立たせるか。 沸騰している環境で自分を成長させるか。 その選択は自分次第だ。

投稿者

すずもと(管理人)

29歳リーマン🚹禁欲とミニマリズムを実践中。20代の最後を全力で生き抜くため、あらゆるポルノに背を向け「生活改善」ならぬ「人生改善」に取り組む。好きなものは読書📖武道(空手&琉球古武道)🥋筋トレ💪怪談👻バイク🏍️生き物🦎etc推しの作家さんは津本陽先生。自分でも小説を書く。

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