ブログやYouTube、SNSなど、私が発信するあらゆる場所で、私は繰り返し「完璧主義はやめろ」と訴え続けてきた。
なぜそこまで私が完璧主義を目の敵にするのか。それには私の人生を長く支配してきた、ある「呪い」のような言葉が関係している。
その言葉とは父の口癖であった「一事が万事」だ。
この言葉は私の心に強烈な恐怖心と共に植え付けられた。「何か一つでも失敗すれば私のすべてが否定される」。と思い込んだ。
父の意図はおそらく「何事も丁寧にやりなさい」という教育的なものだったのだろう。
しかし私にはそれが「完璧でなければ、お前には価値がない」という最終宣告のように響いた。
こうして私は「完璧主義者」へと成長していった。しかし、それは「何でも完璧にこなせる優れた人間」ではなかった。実態は「完璧にできないことを恐れて、何も始められない臆病者」だ。
完璧を目指すあまり最初の一歩がとてつもなく重くなる。そしてようやく踏み出したとしても、少しでも理想と異なれば挫折してしまう。完璧でなければゼロと同じ。そんな白黒思考に陥っていた。
そこで私は自分自身を変える決意をしたとき、まずは完璧主義を捨てることにした。
完璧を目指すのではなく「60%の出来でいいから終わらせる」。不完全でも世に出す。その後にフィードバックを得て修正していけばいい。
YouTube動画を撮る時も何十回も撮り直さない。多少噛んでも気にしない。噛んだところは編集でカットすればいい。もし言い間違えてもテロップで補足すればいい。今は質より量をこなすフェーズだから、完璧を目指して時間をかけるより頻繁に投稿するほうが価値がある。
完璧主義を捨てた先にこそ真の「完璧」への道があると断言していい。
私が完璧主義を敵視するのは、それが多くの人の可能性を摘み取っているからだ。何かを始めようとする尊い一歩を止めてしまう。
不完全な自分を受け入れ泥臭く行動し続ける。その先にしか私たちが本当に求める何かは得られない。