「完璧主義」はいきすれば細部にこだわりすぎて動けなくなる。あるいは理想と現実のギャップに絶望して筆を置いてしまう。
しかし問題の本質は完璧を志すことにあるのではない。完璧でない自分を許容できず、道半ばですべてを投げ出してしまう「全か無か」の思考にこそ真の危うさが潜んでいる。
私たちが目指す「完璧」というゴールは、ある日突然、天から降ってくるものではない。
そこに至るまでの過程には、泥臭く、不恰好で、およそ完璧とは程遠い「不完全な期間」が必ず存在する。階段を一段ずつ上るように不完全な日々を積み重ねた先にしか理想の景色は見えてこない。しかし多くの人は一段踏み外しただけで「もうこの階段を上る資格はない」と決めつけ地上へ引き返してしまう。
ここで重要なのは理想のルーティンを完璧にこなせなかったとき、それを「失敗」という終止符で終わらせないことだ。私にも自分と交わした約束を守れない日はある。その代わりに「埋め合わせ」という概念を導入している。
例えば朝のトレーニングができなかった日は、その分ブログで普段の倍の本数の記事をその日のうちに書き上げることにしている。
結局のところ失敗とは立ち止まった瞬間に確定する。予定が狂っても形を変えて前に進み続けている限り、それは失敗ではなく、ゴールへ至るための微調整に過ぎない。完璧を目指す情熱を燃やし続けながらも、不完全な今日を「埋め合わせ」によって繋ぎ止める。そうして歩みを止めないこと。泥にまみれた未完成の日々を肯定し、諦めずに進み続けた者だけが、いつか本当の意味での「完璧」という名の高みに到達できるのである。