正直、筋トレそのものが楽しいと思ったことはない。ぶっちゃけ苦行だ。
しかし、それでも関係なく今日も明日も明日もジムへ向かう。
「揺り戻し」という名の現状維持バイアス
人は急激な変化を嫌う。新しい習慣を始めようとすると脳はそれを「生命維持に対する脅威」と見なし、元の状態に戻そうとする強力なブレーキをかける。私が感じている筋トレへの憂鬱や抵抗感はまさにこの脳のブレーキ、つまり「元の動かなくていい楽な自分」に戻ろうとする揺り戻しだ。脳が生物として正常に機能している証拠と言える。
新しい自分へ変わろうとする力が大きければ大きいほど、それを阻止しようとする揺り戻しの力も強くなる。つまりこの憂鬱は、私が確実に変化の一途をたどっているという何よりの証明である。
「本当の声」はどこにある?
脳が「やめろ」と叫んでいる。しかし私の心の奥底では、本当はやったほうが良いとわかっている。
感情は、常に楽な方へと流される。「眠い」「だるい」「やりたくない」。これらはすべて、一時的な感情の波だ。その波に身をまかせれば瞬間的な楽は得られる。しかし、その先に待っているのは自己嫌悪と変わらない(むしろ退化していく)現実だけ。
理性の声は小さいが、常に長期的で本質的な価値を指し示している。この声に従うことこそ自分自身を尊重し自らの人生を主体的に生きることにつながる。
感情に流されるのではなく理性の声を、自らの意志で選択する。
モチベーションは関係ない
モチベーションとは感情の波だ。天気に左右され、体調に左右され、他人の一言に左右される。そんな不安定なものに自分の人生の重要な決断を委ねてはならない。
「やりたい」という感情が湧き上がるのを待っていては一生行動できない。やるべきことは「やりたい」という感情がなくても「やる」ことだ。
正直いって私にはモチベーションなどない。あるのは「やると決めた」という事実だけ。
感情は後からついてくる。ジムに行けば自然と体は動く。終わった後の達成感や少しずつ変わっていく体を見れば「やってよかった」という感情が湧いてくる。
感情が行動を生むのではない。行動が感情を生む。
モチベーションは行動の結果として現れる副産物に過ぎない。それを燃料にして動こうとするのではなく、まず動く。その動力が次の動きを生み出す。