自分を変えたい。現状を打破したい。しかしそれを実行に移し、継続し、実際に「変わる」ところまで到達するのは驚くほど難しい。だからこそ、手段を選ばずできることは何でもやっていく必要がある。
無用のプライドは捨てる
自分を変えようとする動機は常にポジティブなものとは限らない。劣等感、嫉妬、悔しさといったネガティブな感情が強力なトリガーになることも多い。
過去に自分を笑った者たち、見下した者たち、私を「できない奴」として扱った者たち。彼らへの「恨み」や「悔しさ」は、確かに大きなエネルギー源になり得る。
しかし私はそのエネルギーを使うことを心のどこかで拒絶していた。彼らを見返すために頑張るということは、私の行動基準が今なお彼らにあるということではないか。そんなプライドが私の中にあった。彼らのことを考える時間すら無駄だと感じ、彼らを動機にすることを「汚いこと」のように感じていた。
結果として私は自分を動かす強力なエネルギー源を一つ自ら封印していたことになる。
その代わりとなる「純粋でポジティブな動機」など、そう簡単に見つかるものではない。見つかったとしても、恨みや悔しさのような、剥き出しの生存本能に直結するような爆発力は持たない。だから私の「自分を変える」試みはいつも失速していた。
使えるものはクソでも使う
自分を変えるのは生半可なことではない。それはこれまでの人生で築き上げてきた思考回路、行動習慣、自己像を、根底から破壊し、再構築する作業だ。痛みと困難を伴う一種の「自己改造」である。その壮大なプロジェクトを遂行するためにエネルギーの「質」を問うている余裕など本当にあるのだろうか。
私の目的は彼らを許すことでも彼らと和解することでも彼らに執着することでもない。ただ一つ「自分が変わる」ことだ。であればそのためのエネルギー源が恨みであろうが、悔しさであろうが、なんであろうが関係ない。それはただの「燃料」に過ぎない。
「彼らのために頑張っているみたいで嫌だ」という感情こそが最も彼らに囚われている証拠だった。
きれいごとで自分は変わらない。もしきれいごとだけで変われるならとっくの昔に変わっている。
プライドを捨てた、その先に
自分の中に渦巻く黒くて重い感情。それを認めるのは気分のいいものではない。自分はもっと理性的でもっと潔い人間だと信じたかった。
だがその「信じたかった自分」こそが、私を現状に縛り付けていた鎖だったのだ。
その滑稽なプライドを捨てた。
自分を変えるために使えるものは、それがどんなに醜く汚いものであっても全部使う。